2008年9月28日日曜日

テレビは媚びる

何年か先にテレビが地デジに変わるからとしきりに宣伝しているが、考えてみればそれほどまでにテレビが生活に必要というわけでもない。
ラジオでほぼ対応できるのではないかとわたしなどは思っている。
ニュースの速さでテレビの必要性を説くかもしれないが、ラジオ程度でいいのではないのだろうか。
それがわたしの個人的な意見です。

第一、テレビは媚びる。
これに嫌気がさすし、慣れれば考えることから遠ざかる。
考えることから遠くなって、何も考えずにぼんやりするのもいいが、知らぬうちにテレビは洗脳していく。
媚びるというのは洗脳への一里塚で、テレビ芸人の言葉が巷に流布する所以である。

テレビは主体が、音声ではなく映像であるから動きを必要とする。
おかしいときににこりと微笑むことだけで出演者を許さないのは、テレビのその部分を強調した演出で、今では特殊な人間を除いてだれかれとなく少しおかしいことが映像に映れば、手を叩いて喜び笑う。
この場合手を叩くというのがポイントで、たぶん手を叩かなければ演出家には嫌われるのだろう。
演出家を恐れぬ大御所たちが手を叩かぬ理由はそこにあり、視聴者に対する媚をわざわざしたくないというのが彼らの気持ちの底にある。

にもかかわらずこのごろは、手を叩いて笑う人間が巷にもいる。
悲しきテレビの被害者というわけだ。

同じようなことはここかしこにおいて起きていてテレビの大衆に対する媚だけではなく政治家やスポンサーに対する媚びもまた視聴者に感染している。
その感染率は深く強く、今の状況を大宅先生がごらんになればどのように言われるのだろうか。

もちろんテレビでの評論家やコメンテーターという人々も媚びている。
その媚びている対象がテレビ局か、政治家か、スポンサーかは知らないが、媚びている人間、媚びることに敏感な人間がテレビの中では伸びていく。

そういう中にテレビがある以上、わたしたちがそれと無関係などということはありえない。

どこか誰も知らない場所で、釣り糸を下げていたいという気持ちが起こるのは、そういうことたちの中で過ごしている疲れからだろう。

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