2008年10月4日土曜日

顔の見える食品

日本の農業をないがしろにし、海外からの輸入でその食料を補ってきた日本に安全性の翳りが出てきたのはそう新しくない。
しかし、それをマスコミが大々的に取り上げるようになったのは、ついこのごろのことだ。

日本は生産者の顔が見える野菜や魚や豆腐を口にしてきていたから、その生産者と売り手が分業化し相対するのが単なる売り手でしかなくなっても生産者の顔が見えている食品であると幻想してきた。
売り手の顔の見える食品は安全だというのと生産者の顔が見える食べ物が安全だというのは別の話だ。(さらに言えば、生産者の努力なくして安全な食べ物は望めないというのが本当のところだ)

次第次第に食料自給率も落ち、いまや40%を維持できるかどうかのところであり、どうすればこれを増やせるかのまともな議論はなされていない。

農業の現場を知らないからだ。
わたしだとて、多くの現場にあたってはいないが、その現場にいる人々が平均65歳以上になっている話しやその高年齢化と国の政策で休耕田になっている田畑の多さは知っている。
これをどうして昔の日本のように戻していくかは、それでもその地域で何とかしていこうとしている若い世代の意見を十分に取り上げることでしか生まれてこないこともわかる。

上意下達では、農業の復活はないし、現にいったん減反された田を元に戻すのにどのようにしたらいいのか、どのくらいの時間がかかるのかわかっていないのがお偉方ではないのだろうか。
今でも食糧は外国から買えばいいという考えは根深く、それが中国の食料汚染の問題に端を発し、これはちょっとうまくないなと考えているくらいではないかと疑う。

農業の復活には地方を丹念に歩く必要があり、中央がそこでなにをお手伝いすればいいのかの教えを地方に請う必要がある。
そのなかに都会のよそ者であるワーク・プアも寄せてもらえないかという発想はないか、あるいは可能だろうかというわたしの思いもある。

大阪のビデオボックスで焼死するのも辛いではないか。

付け加えるならば、この国が安全性などまったく気にしていない例として2006年6月の小泉純一郎首相(当時)訪米があげられるだろう。
このとき彼はブッシュへの手土産として安全性がまだ確立していないBSE問題をそのままに米牛肉の輸入再再開を約束するのであった。
プレスリーがどうのこうのじゃないぜ、おっさん。

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