2008年10月3日金曜日

清原引退

いろいろな出来事が日々流れていき、それをわたしたちはマスコミに教えてもらい、なにか大切なものが教えられていないのではないのかと思ってもそれを知る術は意識せねば得られない。
そのなかで清原引退も大騒ぎとなっている。
「天声人語」なぞには、「タイトルよりも大切なもの…美しい空振り」という一節があり清原賛辞に当てられていた。

清原はご存知のように野球人生というなかでタイトルに縁がなかった。
「無冠の帝王」と呼ばれることもある。
「帝王」かどうかは知らないが、「無冠」であったのは確かだ。
そして「人気」があったのも確かだ。

しかし、ここ五年ほどの彼の打撃成績を調べてみれば、たかりのような選手生活だったことがわかる。
もちろんケガもあったし、一生懸命やった練習もあるだろうが、そういうものはプロであれば当たり前のことで、清原だけを持ち上げる必要はない。
清原の生涯の打撃成績を見れば大選手の一人であるのは事実であるのはわかるが、あの「人気」はわからない。
振り返れば長島の「人気」もわからなかった。

王選手やイチロー選手には十分教えられたが、彼らに何かを教えてもらったこともないし、彼らになにがあったかもわたしには見えない。

もちろんわたしの見えない何かがあるのだろうが、それに騒ぐファンの多くは無様な姿だと思う。
そしてその無様さは日本が小泉純一郎に熱狂する無様さと同じように見える。

熱狂に理由はおそらく要らないのだろう。
最終的には熱狂する自分たちにさらに熱狂していくのだろう。

ただ、その熱狂する人々に媚びるマスコミはいくら商売といえども相変わらずに尻軽であると思い知らされる。

清原選手のことをきつく書いているが、イチローが実際に引退試合の球場に足を運んでいる事実を考えると、わたしの知らない凄みを持っている選手なのだろう。
その点はあらかじめ謝らねばならないだろう。

素人の視点では野球の細かいところまでは見られないことも知ってはいるのだから、ポイントはあの熱狂に対してしらけてしまったことと相も変らぬマスコミの尻軽にあると読んでください。

ラベル: