対日姿勢に変更は?
オバマ氏の当選以来、今後のアメリカの対日姿勢変更について物議をかもしていますが、直感的にはそういう問題ではないように思います。
オバマ氏は短期的にも中長期的にも将来に対して対話できる相手を探しているようです。
それは米国内でも米国外でも。
したがって、アメリカの顔色を窺うだけの国に対しては何ら興味を持たなくなってしまう可能性があるように思うのです。
問題は、
「今後対米姿勢をどう舵取るか?」
というように主体的なものであって、このような視点からの切り込みでないとどうにもならない状態に追い込まれるように感じますが、どうでしょうか?(幼稚な意見ですが…)
かといって、このような問題設定を立てアメリカに物申すのは責任が生じますから、そのような政治家が今の日本にいるかどうかとなると心もとなく、それは政治家というよりはこの国のありようの問題です。
事なかれ主義の時代は過ぎ去り、ある程度のリスクを意識しながら、選挙対策だけに右往左往することなく、右顧左眄することなく、われわれも考えていかなければいけない時代と相成りました。
傍観者ではいられない当事者の時代が来たわけです。
それは、若年者の死亡原因、自殺が第一位などという社会から脱却すべきときを示唆しているようでもあります。
といいながら、わたしもときとして消えてなくなりたく思ってはいるのですが…
オバマ氏は短期的にも中長期的にも将来に対して対話できる相手を探しているようです。
それは米国内でも米国外でも。
したがって、アメリカの顔色を窺うだけの国に対しては何ら興味を持たなくなってしまう可能性があるように思うのです。
問題は、
「今後対米姿勢をどう舵取るか?」
というように主体的なものであって、このような視点からの切り込みでないとどうにもならない状態に追い込まれるように感じますが、どうでしょうか?(幼稚な意見ですが…)
かといって、このような問題設定を立てアメリカに物申すのは責任が生じますから、そのような政治家が今の日本にいるかどうかとなると心もとなく、それは政治家というよりはこの国のありようの問題です。
事なかれ主義の時代は過ぎ去り、ある程度のリスクを意識しながら、選挙対策だけに右往左往することなく、右顧左眄することなく、われわれも考えていかなければいけない時代と相成りました。
傍観者ではいられない当事者の時代が来たわけです。
それは、若年者の死亡原因、自殺が第一位などという社会から脱却すべきときを示唆しているようでもあります。
といいながら、わたしもときとして消えてなくなりたく思ってはいるのですが…
ラベル: 社会
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