2008年12月23日火曜日

文字と余白

タイトルは、あるいは「文字と空間」とするべきか?
どちらにしても人の目は、文字に行くのだが、その本質が余白、空間にあるという驚愕すべき事実。

言葉ではなく、沈黙が優先されることもある。
国民の生活と声高に言いながら、政局を優先していることもある。

この国の政策が前に進まないのは、自民党は延命を第一に考え、民主党は政権交代を第一に考えているからだ。
その発想のもともとの底にあるのは、彼らにとって不況が他者の問題であり、彼らが不況の中にいないことだ。

他者の痛みを実感として身のうちにもつ人は達人の領域の人くらいなもので、政治家のような生臭い仕事をしている中にそういう人は多くいるはずもない。
特に世襲議員の多い昨今、彼らが政治になにを見ているかわかったものではない。

不況は我が手で乗り越えていくしかない。
それが、当事者の問題意識だ。
政治家の中にはたして当事者はいるのか。

われわれは傍観者が手を差し伸べてくれるのを待っているだけでよいのだろうか。
そして、その手は差し伸べられるのだろうか。

都会から田舎に向かう人口移動を促進させること。
この発想を検討してくれる人はいないか。

生きていける食料と雨風をしのげる住みか、そして少しの楽しみがあれば人は豊かに生きていける。
都市を発展させることはその中には入っていない。

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