2009年2月2日月曜日

大麻汚染

大麻が道徳的に悪いということになっている。
法律もその裏づけをする。
そういう状況だから大手を振ってぎゃあぎゃあ大麻にかかわった人間たちを攻撃しているが、法律がこれを容認すれば問題はなくなる。

道徳と法は同じように思われているが、まったく違うもので道徳的に糾弾することへの歯止めとして法は存在している。
それは「非国民!」とののしったあの時代を思い出してみればい。
道徳とはどのように形成されるかの議論はおいておくとしてもヒステリックになりやすいものであることは知っておいたほうがいい。
その怖さから法というものは出来ている。

大麻がまずいのは基本的には法が容認していないからであって、それ以外の理由は二次的なものである。
法を破る行為はまずいというのが市民社会のコンセンサスで、法を破らなければいいだろうという考えもこのコンセンサスから出てきており、それに対する批判が(たとえばホリエモンなどに対する)ヒステリックな道徳的批判になるのは、法と道徳の差異が際立って興味深い。

今回の大麻事件は法的に極めてまずいが、ヒステリックな道徳的批判は聞いていて忍びないほど軽佻浮薄だ。
昨今よく書くテレビ文化はその状況をよくあらわしている。

ラベル: