2009年2月1日日曜日

テレビを見ること

わたしの信頼する知人のほとんどはテレビを見ない。
その理由は簡単で、見るに値しないからだ。

それと比較すればわたしは一ヶ月のうち何日か寝たきりになるものだからテレビに頼ることが多い。
テレビで気を紛らしていないと自分の思いの中に気持ちが引っ張られていくからそれを避けたいのだ。
もちろんテレビだけでなくラジオも聞くし落語も聞く。
が、今はテレビに限定しよう。

そうやってテレビで気を紛らす作業はきわめて効果的だ。
それはテレビに映されるものが十分にくだらなく、なんらの刺激もわたしに与えないからだ。
与えないから気の紛らしになる。
おそらく多くの人がそのようにテレビの映像を流しているのではないだろうか。

この番組はというのにあたるのは一日に一本あるかないかだ。
それだから病人にはちょうどいい。
それが健康体の人間だとしたらテレビを見ずにもう少しましなことをすればよかろうと思う。
テレビの番組にいくら期待してもまずはなにも出てこない。

これは一見テレビ批判に読めるかもしれないがそうではない。
テレビ番組は今やそのように作られているのだ。
何も主張せず、ただくだらぬ映像を何も考えない頭に流し込むように。
でなければお馬鹿キャラなど成立するはずもなかろう。

そういうなかで「疑惑」という松本清張ドラマは見るかいがあった。
沢口靖子・田村正和が主演したあのドラマだ。
このレベルのものがあれば、今のテレビでは十分だ。
沢口はいい役者になるかもしれない。

この「疑惑」は昔、確か映画で桃井かおりと岩下志麻でやっていたはずだ。
言っておくがあの映画と比べてはいけない。
今のテレビはそれほどまでに地盤沈下しているのだ。

今のテレビでは「疑惑」はいいドラマだと思った。

そういえば向田邦子も山田太一も倉本創もこの世とあの世の違いはあるがいまのテレビを嘆いているだろう。
しかし、その嘆きはもはやノスタルジアだ。

テレビを抱え込む社会的なコンテクストがすでに十分に変容してしまったのだ。
その変容を無視して嘆いても仕方あるまい。

ただ指摘すればいいに過ぎない。

ラベル: