2009年2月10日火曜日

生きていたい

昨夜NHKで「振り込め詐欺」の若者を特集していた。
その番組では大きく「人間関係」というポイントを押し出していなかったが、明らかに彼らは「人間関係」を求めていた。
その求める際の大きな武器が金であり、そのために犯罪をおかし、さらに暴走していく様子が描かれていた。

そうまでして人は「人間関係」を望む。
それが生きていくための最も基本的な条件だからだ。
その「人間関係」を作る相手については今は述べるまい。
とにかく誰かと関係を結んでさえいれば人は生きていける。
(複雑になるので言及しないが、それは人間でなくとも何とかなるケースはある。犬だとか猫だとか植物だとかビーズ細工だとか詩を書くことだとか…、おのれ以外のものとの親密な関係は「人間関係」に取って代わることが出来る)

孤独であることが何よりの病なのだ。
そしてここ東京では孤独が氾濫している。
嘘でもいい、誰かとつながっていたい。
それが彼らの切なる願いだし、その関係性はまやかしでもかまはないのだ。

だからその関係を作るために法を犯すというハードルはたまらなく低くいとも簡単に超えられる。
(法を犯すにもいろいろあるのだけどね。たぶん殺人同好会でも参加するかもしれない)
そのことの一端が夕べのドキュメンタリーには見えた。

仲間がいることに感謝したい。
家族を大事にする。
田舎を大事にする。

そういうことたちが消滅しようとしている。
その消滅は自分の消滅に通じ、もはや東京には人がいないようだ。

振り込め詐欺自体の底にまで「人間関係」への希求が流れていようとは。

世も末とは言うが、すでに世は終わっているのかもしれない。

逆に「人間関係」を断つことで人を死に追いやる可能性があるという想像力の働かない街に何の期待があるものか。
ときとしてそんなふうにも感じてしまう。

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