2009年2月9日月曜日

生きていても…

生きていても仕方がないと思うのはまんざらおかしな考えでもない。
逆に生きていて楽しいことはそれほどはあるまいというのが、当たり前の帰着だろうと思う。

楽しいと思うのはその人間があまり物事を深く考えず、日常の中にどっぷりと使っているからで、これこそが人が愉快に(その愉快さは決して大きなものではないが)生きる秘訣ではないかと、今しみじみ思う。

だからこその日常の再構築であり、日常、つまりはある種の習慣の積み重ねは人が生きるのを助けてくれる。

一方、ある人の言うように毎日を新しく迎えたいという願望は、一応のところは成立はするが、毎日に変化を与える工夫が施された日常を構築したいと読み替えることが出来ることで、日常と大きく相違うものではない。

本当に日常を離れれば、それに耐えうる人間はそうたんとはおるまい。
それくらいわたしは「日常」の確立が大切だと今しみじみ思っており、その逆側から言えば、人生など大きく楽しいものではなく、そういう人生であえて大きな楽しみを見つけたいのなら、そこには地味な努力の繰り返しが大きく要求されるのだろうと思っている。

薬物や酒に害があるのはこの点(楽して大きな楽しみにぶつかること)をもってであり、人生を破壊することを厭わなければ、そういうものたちにおぼれて死んでいくのもひとつのあり方だと思っている。
わたしは、肉体的に酒を受け続けることが出来ないので(正確には三、四日も呑めば体がぼろぼろになる)、その生き方は選べないし選ぶのは辛い。

それは直後に大きな鬱が襲うという別の理由にもよる。

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