2009年2月9日月曜日

人間関係

さてその日常の再構築だが、これは習慣をあえて自分に植えつける努力だけではなく、その日常に人間関係を築く必要があると思っていい。
その人間関係の構成要素は別に誰であってもよく、ただひとつの条件は、自分を必要としてくれるというポイントだけだ。

繰り返し述べているのは、実はどのような人間であってもこの世にそれほど必要とはされていない。
存在していなくてもいいということだ。
そこで親兄弟や友人や恋人やあるときは隣近所の人々の登場と相成る。
そういう人たちとの何気ないひと言たちが日常をひいては自分を支えてくれる。
まことにありがたいことだが、わたしはそのことに長く気づかずにいた。

おそらくそういうところにわれわれの基本はある。

だから、そういう人間関係を剥奪してしまえば人は割とたやすく壊れる。

そのこわれかたはアル中であったり、引きこもりであったり、うつ病であったり、はては自殺や無意味な殺人であったりするが、基本的に彼らが抱えているのは人間関係の欠如、古い言い方を使えばあらゆるものからの疎外である。

人生がもともと愉快なものではないのだから、どうにかしてそれを支えるのは当たり前で、その支えるものを取ればいともたやすく崩れ去る。
その崩れ去り方が、多種多様だから原因が見えなくなっているに過ぎない。

人間関係を取り戻させること。

これが人を生きていかせる基本であり、それをその人の外からがんばれなどといってもくその役にも立たない。
ともに手を取る努力を、大変だろうがその人に対してすること以外には人は人として立ち行かない。

それくらいこの世は愉快なものではなくなっている。

もしあなたが愉快だと思うのならばそれは化かされているのか、たまたま好条件のなかに生きているだけにすぎないのだから、不幸な、人間関係から放り出された人を特殊な馬鹿だと見るのはやめたほうがいい。

もともと人生は冷たく、人は寂しいものなのだ。
たまにはそう思って夜空を見あげれば、少しは星空も変わって見えるだろうに。

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