2009年4月1日水曜日

希望は無銭飲食

政府は需要拡大でさまざまな政策を打ち出そうとしているが、うまくいくとは到底思えない。

人々に金がないのにどうして需要なぞ求められようか。
人々に明日への希望が消失しているのにどうして消費に金を回せようか。

2006年の日経流通新聞の調査によると、
20代の毎月の平均貯蓄額は、5万8000円、30代だと5万7900円に及ぶという。
しかもそれらの大半は目的なき貯蓄である。

もちろんこれは正社員の身分を持つ連中の貯蓄であるのだが、彼らにしてからが金を使う気などどこにもないのだ。
明日のない人間たちがただうろうろしながら明日のことを心配している。

もし、この日本に稀代の先導者が生まれれば、かつて満州になだれ込んだように、人々は満州へとなびくかもしれない。
新たな核なき戦争へとなびくかもしれない。
しかし、この無意味な仮定を放り出してしまったときわれわれは第一次産業に目を向けるしかないだろう。

この国の今の状況の打開は産業構造の転換を視野に入れなければ不可能に等しいだろう。
前述のようにもはやクルマや大型家電を買おうという人種は、特殊な阿呆どもだけだ。
ここで阿呆となじるのは、この国において自分だけしか生きていないという幻想を破ることをしない低能をなじったものだ。

さらにだれがマンションを買うものか、土地付き家屋を買うものか、それが金融商品であったときには(高く転売可能であったときには)購買者もいたであろう。

だが、いまやいつ住宅価格が上昇するというのだ。
わたしが、わずかにもつそれらの資産も下がりっぱなしではないか。
(もし、わたしが悪辣な所業として家族をすべて放り出した暁には、この屋を解放区として新たな家族の拠点としたく考えている。
もちろんその構成は妻と子どもと…といった従来型ではない。
が、この問題は後に送ることにしよう。このことを語れるべき力がわたしに訪れるそのときまでに)

だからこそ、若者を第一次産業に送りなさい。
農業、漁業、林業を注目する政策を立てなさい。
きびしい第一産業の仕事も若者ならばこなしてくれるだろう。
第一次産業がこの国の根幹だと見破りなさい。
若者を集約的に第一次産業の再生に向けなさい。
それを基にした産業構造の変革を考えてみなさい。

これが政治家に負かされた使命だろうとわたしは考えています。

さて、若者ではないあなたやわたしにそういう前向きな議論はない。
未来はないのだ。

だが、そういったお先真っ暗なわれわれに残された希望は何もないのかといえば、少なくともひとつだけはある。
それが、無銭飲食だ。


横浜市のレストランで3月、生ビールなど約4000円相当の無銭飲食をしたとして
詐欺罪に問われた無職工藤明被告(61)に、横浜地裁(鈴木秀行裁判官)は8日、
懲役1年8月(求刑懲役2年6月)の判決を言い渡した。
同被告は約40年間に無銭飲食で30回近く逮捕され、裁判は16回目。
これまでに実刑判決を14回、執行猶予付きの有罪判決を1回受けた。


無銭飲食をしては刑務所へ、刑務所を出ては無銭飲食を。
このくりかえしの中に希望を見出せる可能性がある。
しかし、前期の判例を見るがごとくこの実践には少々厄介がつきまとう。

が、なに、恐れることはない。
刑務所に入れてくれるまで、執行猶予が取り去られるまでしつこく繰り返してみればいいのだ。

そのためには服装は身奇麗にしておきたい。
そうしておいて、とある店に入る。
静かなディナーのその後には、静かにその店のオーナーにお願いするのだ。

「すまないが、電話をお貸し願えないだろうか」

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