2009年3月26日木曜日

仰臥漫録


悟りというものがあるならば、平生からの死への覚悟だと思っていたがそうではなかったようだ。

いかなる状況でも生きていける

これをもって悟りというのだろう。

子規のこの本はすさまじい。
まさに病状六尺の中からの咆哮だ。
咆哮するくらいだから悟りも何でもないかと思うと、急にせつない思いが吐露される。
あるときは自殺せんとする自分の姿を描く。
そして、その横にはそのとき使おうと思った千枚通しと小刀がスケッチしてある。

日々の食事に対する執念、他者に対する痛烈な批判(特に中江兆民に対するものか)、そしてやさしい思いやり。
子規の布団の上にはあらゆるものが行きかう。

これをもって悟りとすれば、のたうちまわるなかにも悟りは存在するわけで、静かな涅槃を思い描いてもらっては困るわけだ。

ただしこの書を含読するには読者の質にもよるだろう。
若いあなたが読んだところで何が何だかわかるまい。

初老のわたしが読むから圧倒されるのだろう。

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