2009年3月22日日曜日

井田真木子さんへ


心を折る、という表現がこの世に登場したのは、91年に書かれた井田真木子の「プロレス少女伝説」(大宅壮一ノンフィクション大賞)、神取忍とジャッキー佐藤戦のなかだった。
この「心を折る」という表現はわたしの知る限り夢枕獏がこの本の文春文庫版のあとがきで絶賛し、その後人口に膾炙していった。
付け加えれば井田は、「プロレス少女伝説」に続き、93年には中国残留孤児2世を追った「小蓮の恋人」で講談社ノンフィクション賞も受賞する。

その後井田は 2001年3月14日午後11時すぎ、東京都新宿区の病院で死去する。
当時44歳。
死因は不明。
14日夜、自宅で倒れていたのを知人が発見したという事件は熱心な彼女の読者を震撼させた。

「心を折る」という表現は、彼女亡き後も、テレビの格闘技はもちろん他のスポーツ中継にも頻繁に使われるようになり、塵芥にまみれ急速にその魅力を減じていった。
テレビというメディアの持つ軽薄さはこのようにあらゆるものを陳腐化させていく。

もう一度井田真木子に戻れば、彼女には「十四歳見失う親 消える子供たち」(1998)という重要な作品がある。
あの当時日本の援助交際をアメリカの十代の「ストリート・サヴァイバー」と並べて考察したのは井田の卓見であった。

87年アメリカの本格的な景気低調期から始まっていく「ストリート・サヴァイバー」を帰る家はあり、明日にも餓死する状態ではない、街を彷徨うが自分たちをホームレスとは考えず、性行為を売買するが自らを売春婦とは思っていない、…とその特徴を見る。

同じ特徴を援助交際にも見、経済バブルがはじけたときに生まれた共通点を凝視した。
日米の彼女たちに対する井田の定義によれば、以下のようになる。

「近代以来、子供は生産のにない手のひとつであったかもしれないが、余剰所得の稼ぎ手ではなかったはずである。…<援助交際>というのは要するに、子供のための余剰所得方法なのである」

「十四歳」はあまり売れなかった。
同時にマスコミにこの井田の秀逸な分析はあまり取り上げられもしなかった。

しかし、この分析は私見ではあるがとても重要な指摘で、余剰が、経済成長がこの社会を発展し続けてきたことを考えるときに、その裏側で行われていた破壊をリアルに教えている。
いまだに経済成長を願う社会に生きていて、蝕まれている人びとを思うとき(もちろんその群れのなかにわたしもいるのだが)、さらにおまえたちは余剰を生み出す使命を負わせ苦しめるのかと暗澹となる。

それは、ひとつの見方ではあるが、忘れるべきではない見方であろう。

余剰所得で成り立つ人生も、関係も声高にそれが正義だと叫ぶほどのものではない。
余剰なき生活を考えるとき多くのものが必要ではなくなる。
そして必要でなくなったものはもともと必要ではなかったのだ。

途中までテレビの持つ悪魔的な影響力を書こうとしていましたが、それはまたの機会とします。(失礼)

貧しくともあなたがいい。

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