2009年3月17日火曜日

ハウジングプア

安定した収入のない人が住まいを失う「ハウジングプア」というコトバが登場した。
一方にはホームレスというコトバもある。

ホームレスというコトバは路上生活者を指すものだが、たまたま「ホーム」というコトバを使ったものだから北九州で奥田 知志さんのような活動が生まれる。
そう思っては名づけなかった名前から活動が一人歩きした。

「ホームレスの問題には二つの局面があると思います。
ひとつは、“ハウスレス”。家がない、食べるものがない、仕事がないなど、物理的なモノに欠けていること。
もうひとつは、“ホームレス”。帰る家があっても、家族や友人との関係性が途絶えてしまい、孤独感は路上生活のときと同じまま、ということです。
全国的には“ハウスレス”のみの問題しか支援されていないことが多いですが、北九州における支援活動の特徴は“ハウスレス”と“ホームレス”の両面からサポートしているということです。
しかし、そこからさらに進んで「“ホーム”の回復」についてまで支援していかなければ問題の解決にならないと私は思っています。」

これが、奥田氏の思いだ。
ハウスレスは大きな問題ですから、これに対する活動は続けていってほしいですが、この背後に「ホームレス」を見逃してはならないという見方は大事だ。

家があってもそこにホームがない人間は多い。
その場合、今まで雛形と考えられたホームへの思いをきっぱりと捨てて新しいホーム作りへ向かうことも考えねばならない時期に来ていると思う。

いままでのホームには役割作りが割り振られすぎていたように思う。(そしてそれを押しつけすぎていたようにも)

「人にはそれぞれの形がある」

そこにはその形でいることを許すという方向が欠けていた。
人はだめな状態でもいいのだ。
(そのだめな状態に納得していなければ…、人の思いは外側から見ているよりもはるかに深い)
もしもその人にホームというものがあり、人間関係があるのならいつかその人の心も温まるということもあるだろう。
そういう意味でハウジングプアとは別にホームレスと取り組む奥田さんの活動はこの世に欠かせない。
そしてこの活動の大変さは人を十把一からげにしないところにある。

ホームとはもともとそんなところに存在していたはずだ。
つまり、人を十把一絡げにせず、その人に近づかず見守るところに。

ホームレスとはふざけた名前だと思ったこともあったけれどこういう小股掬いもあった。

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