2009年3月14日土曜日

何について考えるか

情報が跳梁跋扈して蠢いている。
巻き込まれれば清濁併せ呑む情報の中でおぼれてしまいそうだ。

何かを考えるとき、考えるための材料である事実を収集し、整理することは大切だ。
(これは何かを考えるときで、考えないのならばむやみに情報に接する必要はないだろうというのがわたしの立場だ。必要以上に情報を集め、振り回されないことは大切なことだろう。知らないことはなんら恥ずべきことではない。むしろ知ることによって生じる陥穽のほうが百倍恐ろしい)

そういうなかでインターネットはきわめて便利だが、それは情報収集においてで、問題を立てるのはあくまでもあなたであり、わたしである。
この問題を立てるという作業を自分の中から追放させ続けてきたのが、日本の教育の大きなひとつの弊害だった。
問題を自分で立てていなければ、何かを知るだけでは力にはなりにくい。

「何を知っているかではなく、どのように知っているかが問題だ」

というのはその意味であって、問題を立てていなければ、何を知ろうとしているのか認識していなければ、どのように情報を集めても(情報に対する意見も含めて)それは烏合の衆でしかない。
その情報たちは、いわば自分の内部に作られた拡大する烏合の衆の楽園であり、そのような情報は再構成され新たな息吹を持って外へ解き放たれることはない。

この楽園はきわめて閉鎖的で、閉鎖的であることが第一義である楽園である。
閉塞状態が蔓延する今になんと似つかわしい個人の内部であることか。

最も重要なことは、自分に問題が立てられるかどうか?
(どのような問題であっても構いはしない。立てられるかどうか!)

その後に、情報の収集は意味を持つ。
情報とは自分の磁場に合わせ収集するもので、磁場なきところに情報の収集は不可能だ。
なにしろいまや情報は無数に蠢いているのだから、取捨選択しようがないではないか。

まずは、自分が何を問題にしているのかという意識が大切だ。

情報の海の中、溺れずに生きていくあなたに「RAINBOW COALITION」が生まれることを願います。

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