2009年3月14日土曜日

物語~メタファーとしてのふたつのタイプ~

物語には二つのタイプしかない。

①穴に落ちて這い上がってくるもの
②穴に落ちて這い上がれないもの

もちろんこれはメタファーであるからそれほど厳密なものではなく、むしろお遊び的なものだ。
少し考えてみれば、穴に落ちてそのままのものであっても、穴の中が違って見えるようになったとしたら、それは這い上がって元の生活に再び落ち着いたものと比較してみると、主人公の変化という点で見れば、這い上がった主人公に勝る大きな変化をなしている場合があるだろう。

変化。

これは考えておかなければならない小説の要素だろう。
小説はすべてにおいて自由だから、必ずしも変化を求める必要はないが、物語とする以上はそのほとんどが何らかの変化を描写するものになる。

最初に主人公が海辺で立って入て、最後にも海辺に立っているとしたとき、その主人公が読み手に違って見えてこないとしたら、その小説は冒険的な挑戦であったとしてもあまり魅力はなさそうだ。

小説に求められる大きなひとつが変化だとしたら、それは状況の変化だけではなく主人公の内部の変化も考えておく必要がある。

そう読み解いてみると、①と②の差はそんなに大きなものではないのかもしれない。

たとえば、①に長い旅の後、再び故郷に戻ってくる物語を想像してもいいし、②にそのまま旅の空に果てる物語をおいてもいい。
この場合の両者は、①、②と分けたところでなんの説明にもなっていないようだ。

最も最初にメタファーと読めると断っているのだから、「穴に落ちる」を混沌とした主人公の内的な状況と見れば以上の説明とも一致することになるのかもしれない。

ふと思いつたのだが、では穴に落ちてそこから再び穴を掘っていくというのは前衛的なものになるのだろうか。
(ここまで書いてきて、抽象的な議論の空疎さを改めて実感する。そういえば、いつもこの抽象にからめとられてばかりだな、わたしは)

妄言多謝

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