2009年3月26日木曜日

信頼と習慣

人の生活を形作るものとして「信頼と習慣」をあげてみた。
習慣はそこに何の反省もなされぬものなのできわめて重要なその人作りをする。

経絡というコトバをご存知か?
調べれば、

「古代中国の医学において、人体の中の気血榮衛(気や血などといった生きるために必要なもの、現代で言う代謝物質)の通り道として考え出された」

となる。
これを内経絡と定義すれば、外経絡が見えてくる。

外経絡もまた通り道。
通り道ではあるが、人体の中ではなく外の通り道。
どの道を通り、電車に乗り会社に行くか。
どの店に寄って自宅に戻るか。
どの人と定期的に会うか。
   ………

すべて外経絡といってよい。
人は知らず知らずそれらのことを決めてしまっている。
たとえば、自宅での過ごし方も外経絡に入ると考えていい。
その外経絡が自分の意識に大きな影響を与えている。
内経絡が人体に大きな影響を及ぼすがごとく。

自分の生活に不満があるとき、努力は必要ない。
まずもって外経絡を変えるべし。

なに、たいしたことではない。

普段通らぬ道で会社に向かうとか、普段寄っていた店を変えてみるとか、家に帰れば必ずつけるテレビをつけずにいるとか…
ごく些細な変化をもたせることで大きく生活は変わり、新たな出会いも生まれる。(この場合の出会いは人であったりものであったりする)

このようなことが習慣のもつ信じられないような効果だ。
そしてその可変な習慣の中からあえて選び取った習慣と変わることない何ものかとの信頼があれば、ひとは地について生きていける。

テレビや新聞が教える人生観が忍び込む隙はそこにはない。(たまたま新聞やテレビの主張する在りようと自分の在りようがいしょならばそれはそれとしてだが)

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