2009年4月5日日曜日

ローマ字日記


阿部昭によれば、子規の「仰臥漫録」に並び立つような限りなく虚飾を去った作品は、「仰臥漫録」の十年後に子規よりも更に若くして死ぬ啄木の「ローマ字日記」を除いては知らないとなる。

「ローマ字日記」は啄木の命名ではない。
明治42年4月7日から同年6月16日までの彼の日記は黒クロース装ノート1冊に書かれた日記であって、それがローマ字で書かれたものだったためいつのころからか「ローマ字日記」と呼ばれるようになった。

当時、ローマ字は珍しかった。
したがってローマ字で書かれたこの日記はたやすく読まれる種類のものではなかった。

啄木はローマ字を、家族から逃げるため(彼らに読まれぬため)、日本文学から逃れるため(日本文学の伝統の抑圧から逃れるため)、社会から逃れるため(それは社会という大きな枠組みのなかで生きる己の貧困と結核という抑圧からだっただろうか)に、使用している。

しかし、残念ながら以上のこのローマ字使用の理由はこぎれいにまとめすぎている。

じつのところ啄木のローマ字使用の理由はもう少し逼迫したところにある。
知りたければご自身で読むに限る。
岩波文庫はそのローマ字をひらがな漢字に直したものも付加されている。
(ここに詳しく説明するだけの余裕と十分な力がわたしにないことを詫びておきます)

さて、病状六尺の子規に比して啄木は狭いながらも「ホンゴウ区 モリカワ町 1番地」の3畳半の下宿屋に住む。
しかも彼は歩いて出かけることもできる。

にもかかわらずどこが「仰臥漫録」と並び立つのか。
それは、そこに記されているのが生きることのみに徹した記録だからだ。

先に阿部昭が「虚飾を去った作品」と述べたことを書いておいたが、それは生きているという事実以外に書くことを持たぬ者の文章と言い切るほうがいいかもしれない。

よって、その文章には余裕なく、ときとして訪れる余裕(あるいはそれは余白と呼んだほうがいいのだろう)を逃すこともなく、激情、平穏、自己に対する叱責、起こり来る欲望、そういったごちゃまぜを限りなく薄い薄い紙で掬い取っている。

それをもってひとつの日記として提出しているところにこの二つの日記の一致点はある。

生きるというのはこれほどまでに高く低くうごめく行為であるのだ。
その行為をここまで観ることもできるのだ。

そして両者ともに現代社会から見れば十二分に貧困で不幸な人間であり、それでいて「高潔」である。
その「高潔さ」は、意地汚さとも、他者への容赦ない罵詈雑言とも、自己への泣き崩れるような不信感とも、言葉にはしっかりと定着させられない猥雑なことたちともしっかりと結びついた「高潔」である。

あちこちに散見するただ単に高潔であることが、これほどまでにみすぼらしく見えてしまう「高潔」なる本をわたしは知らない。

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