2009年5月6日水曜日

熱い男

「熱い」は熱い心を持ったという意味だろう。
そのように評される男がいる。
たいていは外見や言葉遣いがそのことを示す。
これが、通常使われている「熱い男」の姿だ。

しかし、「熱い男」がこのようなスタイルばかりとは限らない。

もっと静かに激しく心の底から燃えている人間もいる。
先ほどの見方の大きなミスはそのような静かに燃える人を見逃してしまうことだ。
オーラなどという言葉にも同じものがある。

人の心のありようはそのようにはっきりと見えてしまうほど安っぽくはない。
また、激しい言説をはいたからといって何の保証にもならない。

人を見るためにはただただ人を見る訓練をするだけだ。
その訓練の第一段階に「言葉なんぞに惑わされるな」がある。

では、何をもって人を見るか。
まさにそれがあなたに課された問題だ。

あのように軽い言葉を吐いていたかのように見える矢吹ジョーでさえその実態は違っていた。
ラストシーンを覚えているだろうか。

あの矢吹ジョーの最後は静かにコークスのように燃えていたではないか。
でなければあんな白い灰になるはずはないに決まっているではないか。

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