2009年5月14日木曜日

最後の通院

後遺症確認のため中野の警察病院に行く。
その途中、犬屋敷跡に出くわす。

犬屋敷とはご存知のように徳川将軍五代綱吉が貞亨二年(1685)に出した生類憐れみの令によって、徘徊する野良犬を飼う「お犬様御用屋敷」なるもので、何ヶ所か用意されたらしいが、大久保・四谷と並び有名なのがこの中野の犬屋敷。

その跡を眺めながら急に綱吉がなぜあれほど犬を大事にしたのか、しかとは知らない自分に気付いた。
このように自分以外のもの、自分の外のものに気が向くのは精神的に良好になっている証拠だ。

振り返れば、ここ二週間ほど外のものに何の興味も覚えなかった。
単なる鬱ではなかろう。
鬱と虚無主義が結びついたようなものだろうか。
あるいはそれにオブローモフ主義を足したものか。

いずれにしろ、外に対して何の気も向かわない状態が続いていた。
これはこれで目の前に何か薄靄のかかった気分でいいものではない。
生きる気力がマイナスに向いている状態で、妙な扱いをするとこじれてしまう。

それが、中野の犬屋敷跡を見たとき、わたしの外の綱吉に気が走った。

後頭部の激しい痛打と裂傷の後遺症の最終チェックのこの日、精神も浮上し始めたというわけだ。

まったくもって悲劇的か喜劇的かわからぬ生き方をする男だ。
自分のことながら、なにやら幸せな男だと感じてほくそえんだ。

明日の見えぬ状態でも幸せになれることが出来るのだろうか?

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