2009年8月20日木曜日

酒井法子粘る

わたしは、マスコミが嫌いで彼らに無性に反発したくなるが、これはもちろん偏見である。
ほぼあたっているが、すべてのマスコミ報道がそのように断じられるべきではないという意味で偏見と意識したほうがいい。

人は自分自身の目で何事も見、判断するのを良しとするが、このことをあまりに追求するのは徒労に終わる可能性があるので危ない。
それほど人はたやすく、誰かの何かの見方を刷り込まれてしまう。

この点から考えて、自分がどんな偏見を持っているのか意識するというあり方をわたしは支持する。

偏見はときに推進力になると言ったのは鶴見俊輔氏だが、その一面は見逃してはならない。
けれどもその推進力の方向が、思わぬ方向に行けば、それは大変に危険で、そのことは歴史が教えてくれたりもする。

だからここに強調するのは、自分がいかなる偏見を持っているのか意識するというポイントだ。
もし、この観点があれば、相手とお互いの持つ偏見の論評が出来る。
この会話はめったに出現しないが、出合えれば実に楽しいものだ。

そういえば、酒井法子報道がわりと長く続いているが、彼女はなかなかの女らしく官憲にたやすく落ちないらしい。
夫と比べればずいぶん根性の入っている女ということだ。
DNAといえばDNAだが、この言は多少差別的だな。

しかし、たいていのタレントはすぐさま落ちるものなのだが、警察権力になかなか屈服しようとしない酒井法子は、わたしが思っていたのとは正反対ではあるが、見事な様相を呈している。
マスコミがいまだに報道を続けるのは、この酒井法子の頑張りとその背景を報道できない苛立ちがあるのかもしれない。

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