2009年8月13日木曜日

周平独言


「周平独言」は藤沢周平の読者なら傍らに置いていい作品ではないだろうか。
数少ない彼のエッセイが集められた本だ。

この本を読む中に彼の作品の出自を見ることも出来る。
さらに深みを見ることも出来る。

それは彼が特殊な人間であったことを教える。
特殊とはその感受性で能力の特殊さではない。
もちろん感受性と能力はごく近しいものだが感受性を作品にするには、はなはだ遠い道のりがいる。

最近、ある年若き人に改めてこの本を教えてもらった。
そして、あまりはっきりと記憶に残っていなかったその中の掌編「村に来た人たち」を指摘された。

今改めて読んでみると、自分の罪深さ、それはあの時なぜあのような行為にいたってしまったかという自分の残酷さや未熟さや、今ここにある自分の元になったいくつかの出来事を映し出している。
それは、あえて忘れ去ろうとしてきたことのようでもある。

重層的に膨らみ、果ては自分の懊悩が勝手に動き出すようなこの掌編の深みはその若き人ならではの出会いであったろう。
そして、わたしにも少しわかるものであった。

思えば、藤沢氏の作品はこのようなことを教えてくれる作品であったと「村に来た人たち」は思い出させてくれた。
世に見巧者はいて、見巧者を必要とする作品はある。

若き人に、また、作品と自分との関係の糸口を教えられた。

ありがたかった。

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