2009年8月3日月曜日

世も末だ

誰かよりも何かを知っていることが、その人の誇りになってしまったときには、それはおそらく終わりの印だろう。

これほどインターネットのはびこった時代に、何かを知ることはそれほど重要でもなかろう。
もし、それが、再編成、もっときつく言えば再構成された情報であれば話は違う。

プロ野球について詳しかろうが、映画について詳しかろうが、鉄道について詳しかろうが、それだけでは物足りないし、何の特徴も示さない。

それは、情報にあなたが入っていないからだ。
もともと情報は無機質なもので、そこにあなたが色をつける。
となれば、どんな、だだくさな色であっても話は違ってくる。

あれはああだ、これはこうだと聞いても退屈なかぎりだ。
それよりも、長島のだめさを語る人に会いたい。
黒澤と橋本忍の関係を語る人に会いたい。

残念ながらまた同じ結論に行き着く。

何を知っているのかではない。
何をどのように知っているのかだ。

そのことにより、先ほど書いた青年のような出会いが起こったり、起こらなかったりもする。
もちろん、それはあなた自身が決めることだが、何かに詳しいことは、とても恥ずかしいことだとわたしは思っている。

詳しさのほどにもよりますがね。

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