2009年8月14日金曜日

枝雀百景

桂枝雀ほど落語のことを考え続けた人は少ない。
それは弟子が師匠枝雀を語るときに驚かされることでも得心がいく。
たとえば…

師匠と落語の稽古をしていてひと段落ついた。
そしたら、師匠が言うんです。
「なんや、退屈やな、落語の稽古でもしよか」

あるいは、笑いに関する分析もまた深く病的だ。
それは「緊張と緩和の法則」と呼ばれるもので、枝雀のちくま文庫のどれかに出てくる。
その延長線上の「サゲ」の四つの分類も美しい。

これらの分類の美しさは、枝雀の最期をほうふつさせるようだ。

また、雀松が語る最晩年に枝雀から直接聞いたという「らくだ」の構想は、鬼気迫るものがある。
そこまで噺をこねくり回し、稽古をしたくって、高座にあげるのが枝雀であった。
そこには、新しい解釈や構想が渦巻いていたという。

三十代の枝雀、四十代の枝雀、五十代の枝雀の差がわたしにはもう一つわかっていない。
それは、彼をしっかりと追いかけてこなかったからだ。
同じように見えて、かなりの変容だったのだろう。

かように敬服するに足る人物は変化し続ける。
そして変化し続けるということは、常に精神に負担を与え続けることで、その人物のどこかにいびつさが出てしまう。
そのとき、そのいびつさを云々するのではなく、その産み出したものを見ていこうとするのがわたしの姿勢だ。

最近、ときに登場する山崎方代にしてからが、そのいびつさを云々しても少しも愉快な人ではない。
しかし、その歌をたどるとき、なるほど端倪すべからざるものがある。
人の魅力と作品は裏腹なときがある。

当たり前のことだが、それを知らなすぎる。

酒井法子を詳しくは知らないが、見方を少し変えれば、あの娘もまた苦労してきたけなげな娘だと思うよ。
いまは、マスコミの格好のおもちゃだけどさ。

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