2009年8月13日木曜日

目撃


小説にしろ、詩歌にしろ、映画にしろ、落語にしろ、そのものを深く知るためにある一人の人の作品を追うというやり方がある。
この方法は、かなり有効だとわたしは思っている。

というわけで、わたしは映画においてはクリント・イーストウッドを追いかけている。
そうすると、彼の作品同士のつながりや彼の目線が浮き彫りになったりする。

そのたびに映画を見る目が深まる。

この「目撃」という作品は1997年作品だが、この映画の最後に向かうにしたがって「ミリオンダラーベイビー」への萌芽が見えてくる。

これもまた映画を見る醍醐味で、そのためだけのためにこの映画を見たような気もする。

いや、もうひとつあった、少なくとも。
この映画もまたイーストウッドの愛情表現が深く漂っていた。
それは直接的でありながら深く密やかに潜行する。
そのような作品はいくつもあるが、その集大成は「グラン・トリノ」だろう。

以前も書いたが、いくらでも解釈できるあの作品はイーストウッドの愛に対する集大成でもある。
そのために登場人物は愛されるに足る少年でなければなかったし、もう片方は愛する動機を十分にもつ傷ついた老人でなければなかった。

このような見方は、良くも悪くも彼の作品を追い続ける中でしか生まれない見方だろう。

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