2009年10月2日金曜日

朝青龍、また責められる


わたしが調子を崩していたときに、またもや優勝決定戦での勝利後のガッツポーズで朝青龍が責められていた。

ガッツポーズを土俵上でやってはいけないそうな。
これをもって喧々諤々。

マスコミは視聴率が取れれば、なんでもいいらしい。
朝青龍が横綱に昇進するのは2003年の1月だった。

彼が、横綱になった3番目の外国人力士だ。
(最初が曙太郎、2番目が武蔵丸だ)

曙太郎は1993年の3月に横綱になったのだが、その時点で相撲の日本古来の神事や祭りである要素が揺らいだ。

それを崩壊させたのが朝青龍である。
この意味で朝青龍は革命的な相撲取りであり、このようなストーリーを自ら作り出しておきながら、いまさらながら彼を批判しているのが横審であり、相撲界である。
曙の前に小錦という相撲取りがいて、彼は1991年11月場所13勝2敗で優勝し、翌1992年1月場所は12勝3敗、さらに次の3月場所は13勝2敗で優勝としたが、この成績でも横綱にさせてもらえなかった。
ここまでが、相撲を伝統文化として守った矜持のぎりぎりだった。

もちろん、現在の大相撲においても、横綱は、全ての力士の代表する存在であると同時に、依り代であることのとされているが、それには日本人でなければならないという大きな垣根があるだろう。

日本人という垣根を取り払い、神の依り代として横綱を扱うのならば、外国人に横綱を渡すのはきわめて危険である。

もちろん、スポーツならばそのかぎりではない。
柔道はその点で、見事な日和見をした。

というわけで、このブログは、もうずいぶん前から神事としての相撲の要素を放棄しておきながら、いまだにグダグダいっている相撲界とはなんと阿呆な輩の集まりかという嘆きをここで見せてみただけのことである。
もう、かつての相撲は終わってしまったのだよ。
それを完全に終わらせたのが、朝青龍であり、彼にそうさせたのがキミたち相撲界なのだよ。

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