2009年9月25日金曜日

作品の中に生きる

作品と現実は別個のものであるが、まったく関係がないわけではない。
だが、どちらの要素に重きを置くかと問われれば、いまのわたしは作品と現実が別個であることを重要視したい。

別個であるがゆえに作品の世界に現実以上の安堵感を得るということはあるだろう。
この安堵感はただ心地よいだけではなく、その手ごたえの限りは苦悩もまとわりつく。
まとわりつくがこの苦悩は理解者とともにの苦悩であって、現実に多く散在するまったく他者でありながら必要以上に声高なあの場違いなさんざめきとは違う。

もっと身近で、きびしい。
厳しいがゆえに耐えられる、あるいは許すことの出来る種類のものだ。

作品の中に生きる人々にある共感を持つときに立ち表れる哀しみは、現実にこうではないと思いながら生きている自分と共通する哀しみではあるが、やはり作品の中の哀しみのほうが純粋だろう。

登場人物の次の姿が浮かばずに苦悩する作者は、作品と現実の違いを知り、さらに作品を現実と等価以上のものとみなしているものの所業の結果だ。
作品の存在価値をそこまであげてしまったとき、登場人物はすでにわが手を離れている。
わが手を離れていながらわが手で書かなければならない矛盾が登場人物の次の行動を生み出す苦しみの源だ。

作品の中でしか生きられない登場人物に作品の外にいる作者が主となってその行動規範を定めることは出来ない。

では、どうするのか?

悩むのである。
すぐれた作品はすべからく悩んだ末の産物だと思われる。

登場人物が作品の中で生きているという言葉は以上のような意味もまたもっている。

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