2009年9月11日金曜日

人の人生に意味はない

これはもともとわたしが何度も語ってきたことだ。

人生に意味がないから、その意味を自分で作り出す。
それが、人生に一貫した人の姿勢だ。
その姿勢が大きな幸福に向かうな、小さな幸福を願えというのがわたしの思いだ。

その標語として「貧乏の共有」がある。

いつだって、幸せは小さなもので、大きさを比較するものではない。
もし、大きさが気になるのならば、それはこの社会が作り出してしまったもので、その因はマスコミや政治を含めたこの国にある。
幸せを銭の高で決めていくようなこの国のあり方に

イチローのインタビューでおもしろい記事を読んだ。
イチローは、自分の動体視力が落ちないために本や映画を見ないそうだ、もちろんテレビも。

人の持つそれぞれの価値観がよくわかるだろう。
それでいいのだよ。

朝起きて、愛する子供と接し、愛する妻がいて食事をする、わずかだが、何とか食っていける畑や田んぼもある。
そういう生き方も選べるということだ。
その生活が不安定ならば、そういう生活を中心にもう少し大きな組織を作ればいい。

とここまでは書けるが、ここからは難しい。
「キブツ」にかかわる集産主義的共同体の問題が生じるからだ。

けれども考えてみてもいいのではないか、少しでも若者の自殺者が減るのならば、いままで幻想で覆ってきた生産から考える経済のあり方を。

それが政治のあり方だ。
今回の自民から民主の転換が革命的なのは、このような重い問題に取り組み始めて時からだと思う。

期待はしないほうがいい。
うまくいけば、お互いに喜び合おう。

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