2009年9月6日日曜日

恋の運行

わかってもいないのに、わかったように書いてしまう。
それが、麻薬にも似て快感だったのだろうか。

恋の運行を仕切るのは、イメージであって実体ではない。
それが、恋の秘訣だし、その秘訣を元に言い切るコトバが、誰かにほれられたいのなら、その人を愛さないことが秘訣だ、までは引き出せる。

さて、その後にどうするのだろうか。

ほれないままに引き出したその人の恋心は、ほれていないあなたを前にして、どこに行ってよいのやら。
まことに、失礼千万。
哀しき恋心であることよ。

愛さないことが唯一の技術ならば、オレはどこに行けばいいのだろうと思う。
それならば、いっそほれてそこにうずくまったままでいればよかったのに。

なんともややこしい形態をとる恋愛というものの姿であることだろうか。

けれども、人が恋するはじめがイメージだとすれば、やはり恋するその初めから誤りは始まっていたのかもしれない。

愛さないことで、愛されて何の意味があるのだろうか。
そう思う瞬間が、あなたにはないのだろうか?

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