2009年9月5日土曜日

本を読むという行為

読書というのは娯楽であって、それ以上のものではない。
特にエンターテイメントに限れば間違いなくそうである。

時に思わぬ拾い物もするが、それは行幸であって所期の目的とは遠く離れる。
そんな行幸に会えばありがたくそれを受け取り、少し幸せな気分になればいいだけの話で、そんな行幸を期待して本を読むのは、動機として少し違うような気がする。

そんな読書にあってもただひとつご褒美はある。
本を読む目が確かになることだ。
これだとて個人差があるから、ただ読んでいれば本を読む目が身につくものでもない。
しかも、よくよく考えてみると見巧者になることは幸せなことかというと裏腹な部分がある。

それは、片岡義男なんかを読んでぶっ飛ぶようなことは起こるが、今まで楽しかった本が急につまらなく思えたりもする。
それぞれをそれぞれに楽しむ境地は、単に見巧者になるだけでは不足のようだ。

それでも本を読みたいというのは、それは好みの問題で、人生が暇つぶしと思うなら、どんな暇つぶしが好きなのかというだけのことだ。

このところ、2,3、本のことを書いてきたので、こんなことを書いてみた。

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