2009年9月1日火曜日

民主大勝でしたね

選挙期間中は、貧困の共有なんて言えはしないけれど。(投票されなくなっちゃうからね)

満足に介護もされず、老老介護で共倒れしたり、親の介護で身動き取れなくなったり、それより何より、もう5年以内には圧倒的な医者不足が来ると言うし、自殺者は今年度は3万4千人へとひた走り、インフルエンザにはあんな大騒ぎをしても自殺者の深刻な状況には無関心を装う。

この国がほぼ破綻間違いなしなのは、現在の破綻状況でよくわかる。
それを避けるためには、破綻しない一部のシェルター入りの特権階級を作るしかなく、選挙で民主党に何とかしてもらおうと投票した人たちはその中に入っていない、

もし、彼らが、何とかなるためには貧困の共有が必要で、貧困の共有には特権階級の妥協が必要なのだ。

それを彼らがいやがるための格差社会であり、格差をなくすためには上のものを引き摺り下ろすしかない。
それが、グローバルな資本主義の運動の中にある格差社会で、貧しさが貧しさを呼ぶだけのことだ。

世界で一番住みやすい国として名高いのはデンマークだが、そのデンマークにしても医療問題を抱えている。
医者や看護婦が少ないのだ。
けれども、あの国が悪くない、と彼らが思うのは、格差が異常に少ないからだ。
デンマークでは公務員の給料はかなり低く、その意味で税金の無駄遣いが問題にされることはない。

貧困の共有の中には、公務員の生活レベルを落としてしまえという意思が潜んでいる。
そういった激しい考えがこの国に通るとは思えないが、通らなければ通らないでこの国の貧困層は別のどこかに作らなければならないし、自殺者の数はさらに増える。

いつまで増えるかといえば、この国がうまく運営できるようになるまでだ。
もちろん貧困を共有できれば別なのだが。

人は、貧困でも幸せになれる。
幸せとはそういったものだ。

格差とは貧困を共有しないところに生まれてくるというのも一方からの見方なのだ。

民主党が少しでも頑張ってくれることを求める。
この場合の頑張るは、パイが大きくならないとしたらどうするかまでの視野を持ってほしいということだ。

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