2009年9月4日金曜日

チームバチスタの栄光

「チームバチスタの栄光」は編集者が改題したもので、もともとのタイトルは「
チームバチスタの崩壊」だった。
この改題のセンスはなかなかのものだ。
コトバにはこのような働きがあって、「チームバチスタの栄光」には崩壊が内在されているというわけだ。
一つの言葉がそれとは真逆の何ものかを持っているというのは、生と死を考えてみればわかるだろうが、それでもわからなければうっちゃっておいてもいい。
いつかわかるだろうし、いつまでたってもわからなければ、それはそのことがあなたにとってあまり重要なことではないということだ。
とにかく、この小説は栄光と崩壊の二つをその内容にもち、その移行していく様相がストーリーのほぼすべてだ。
そのストーリーに読者をうまく乗せれるかどうかが勝負なのだが、この小説ではかなりうまくいっている。
それはキャラが恐ろしいくらい立っているからだ。
その代表が途中から登場する白鳥圭輔。
この白鳥、医学という分野では伊良部一郎と並び立つ。(キャラの立ち方がね)
だが、短編で白鳥は十分機能するだろうか。
ま、それはいいではないか。
これは、海堂尊の処女作なのだから。
その後の海堂の活躍はご存知の通りだ。
さて、あえてこの作品を取り上げたのは、一つのことが気になったからだ。
この作品の終末で活躍するのは「Ai」という技術だ。
日本語では、死亡時画像診断というそうな。
このことをずいぶんと海堂氏は主張したかったらしい。
以後の海堂氏の著作を読めばわかる。
彼によれば、日本では、あまりにも死後の処理が甘いらしい。
そのため医療事故だとか殺人だとかが多く見逃されているらしい。
そして、一番大きな問題は、死因究明をおろそかにしているために医療の進歩が止まっているのだという。
本職の医者がそう嘆くのだからそうなのだろう。
医者不足がここ数年で来ること。
医療の技術として重要な「Ai」の導入が十分になされていないこと。
それが、海堂氏の大きな悩みだ。
わたしにはもう一つ実感がわかない話だが、待っていればいつか実感としてわかるかもしれない。
そういえば、この作品、専門用語が飛び交うがあまり気にならないようになっている。
それは処理の仕方もそうだが、小説には疎い作者の技量にも拠る。
それにしては、エンターテイナーとしてうますぎるではないか、さらに書けば、底に大きな問題を持たせている志の高さもいいではないか。
この小説、医療の問題がわれわれの思っているより遠く深くなっていることを教えようとしている作品だとしみじみ思い、感謝する。

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