2009年9月11日金曜日

隠されていた願望

久しぶりに腎臓と肝臓に背中から灸を当ててみた。
そのせいで深い眠りが訪れた。

そのときの夢は、事細かに書くようなものではないが、わたしにとっての肝心なことが映し出されていた。
愛娘と愛息子が誘拐されるという夢だった。
まだ、2,3歳の娘と6歳ほどの息子だった。

どういう目的で誘拐されたとか犯人がだれだったかなどは夢の中であるだけに論理だったものではない。
どこに二人のわが子が発見されたか、そこをどうやって目指したのかも苦労はしない。
わたしに深い彷徨もなくその場所を誰かが教えてくれた。

ただただ、胸の中だけが妙に熱ぼったかった。

問題は、二人を発見したときの様子だ。
それとわたしの心の中。
二人は拘束されていたわけではなく、そのマンションのなかにいた。
何かして二人で遊びながら、話していた。

その二人の目がこちらに向けられたとき、彼らに言いようのない安心感が走った。

無防備な信頼という。あるいは無防備な愛という、そういうものだったろう。
その顔にはそのようなまれにしか観られないものが映っていた。

そして、わたしは震えるほど二人を抱きかかえた。
それだけの夢だったが、目が覚めてもその幸福感はしばらく去らないでいた。

もし、わたしにいまだに誰かを何の脈絡もなくその存在だけに対し、直線的に思いを投げかけていたい心があるとするならば、そして残念なことにその対象がいないのならば、生きていくのは難しいと思う。

わたしの心の貧困さは、そのような単純な感情を深く持ってしまい、それを自らに隠し続けたせいかも知れない。
何の変哲もない夢かと思われるようなことだろうが、無防備に信頼し合い、無防備に愛し合う関係性がいまや、ほとんどこの世の中から途絶えてしまったことを考えれば、この夢は、なんと切ないのだろう。

わたしが、物語を綴るとすれば、その底にはこの切なさが横たわるのだろう。

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