2009年9月8日火曜日

白洲信哉

この人を見たのはテレビの画像を通して一回きりだ。
そのときは、茂木健一郎とのおしゃべりだった。

どちらもあまりいい感じはしない男たちだが、その著書には触発されることがある。
白洲は知らないが、茂木はその人間としての軽さが彼の思考の大きな支えになっていることを今は知っている。
知ってはいるが、軽薄であると感じる。

致し方あるまい。

その軽薄さが弱点かどうかは難しいところだが、わたしの好みではない。
けれども、わたしの好みなどこの世で何の作用もしないことはさらによく知っている。

さて、白洲氏だが、白洲氏はこの人自体よりも、祖父母によって名高い。

白洲次郎、白洲正子、小林秀雄と並べればなるほどと思われるだろう。
評価はともかく、どの人も見落としてはならない人だろう。

そして、こういう連中の中で育ったことが白洲信哉を育てた。
環境とは、ときにこのような差別を行う。

前述の三人に共通なのは見切りの早さだ。
見切りの早さとは何か、それはつまるところバカとはつきあわないということだ。(バカとは彼らの判断によるもので、社会的な地位とか身分はなんら関係はない。こういうところは少しえらい。少しだけだが…、当たり前のことだからねえ)
バカとつきあっても何にもならないからだ。
それが、彼らを形作った。

そうではないことで自分を形作った素敵な人々たちもいる。
列挙はしないが、たとえば色川武大と書けば、わかってくれるだろう。

さはさりながら、見切りの早さはある種の人間を造形するのには必要なことではあるだろう。

かつて、白洲正子は、アンナ・パヴロヴァと友枝喜久夫を美の真髄を見せてくれた二人としてあげるが、正子に限らず彼らにはこういう冷たさがある。
冷たさといったのは、この二人を挙げたときに「あとにも先にもこの二人しかいない」と言い切ったからだ。

これはいいものを見続けた人の言である。
どう響くかは、あなたの耳にお任せするとしよう。

松岡正剛の下地にも白洲信哉的なものがあるが、彼の父親はもう少し下世話な人だった。
そこが松岡氏と白洲氏の違いである。

このまま書いていると長くなってしまいそうだ。
唐突で申し訳ないが、冒頭の本、通読の価値ありとお勧めして今回は終わりとさせてもらいたい。

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