2009年10月8日木曜日

規模

いつもそこには規模の問題が横たわっている。

景気の問題も家族の問題も環境の問題も…、すべてはじめてぶち当たる問題だ。

なぜかといえばこれだけの人口の規模をわれわれは体験していないからだ。
これだけの数の人間が生きていくためにはどうしたらよいのか。
それより何よりこれだけの人間が果たして生きていけるのか。

もし、生きていけたとしてその生き方はまっとうなものなのだろうか?
そういうことが、利益優先がいまの家族を作ったというあの亀井発言の裏にある。

この規模を維持するために最後に放棄するものが人間の命であるとするならば、その前に人は豊かであることを放棄しなければならないかもしれない。
すべての人が同じように豊かでなくなれば人にそれほどの苦痛は生じない。
それは戦後復興期の庶民の暮らしを見てみればわかる。

問題は、この規模が成長と足並みを同じくしたことで、一度も退歩しなかったことにある。

もう一度規模の問題をわれわれは考えなければならない。
そのときに成長神話を壊す覚悟も必要だろう。

わたしたちの身の回りを眺めるとき、よく考えてみればたいていのものが必要ないことに驚く。
必要があると思うのはそのようにおだてあげられ、人々がそれらの無用のものを持つようになったからで、周りに遅れをとらぬように人は人を追いかけた。

けれどもそこに自分がいたかどうかは定かではない。

規模の問題として問題を捉えなおすとき、直面している事態が人類史上初めてだとわかる。
新しい思想が必要となっているのかもしれない。

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