2009年10月3日土曜日

クリシエ

クリシエ。

ときに耳にする言葉であるが、なかなかに深い。
クリシエはフランス語で、決まり文句、紋切り型、常套句と理解していればそれだけでいいものだが、それらのものがTPOに従って変化するから厄介だ。

あのひとの「愛している」はクリシエじゃないけど、ほかのひとの「愛している」はクリシエだ。
と、こうなる。

クリシエである言葉が存在するわけではないのだ。
使い手がそれを決めていく。

少しだけ詩のことを考えた。

そのときに音楽つきの詩と、詩そのままが屹立する詩を思った。
これは、もう鼻から話が違う。
クリシエのありようも違う。

「愛している」という歌い方で、メロディーラインでそれがクリシエに落ちぶれるか、すっくと立ち上がるかが変わってくる。
そういうところにクリシエはある。

さはさりながら、クリシエを意識するのは大事なことだ。

ところで、オレがおまえに吐いた愛の言葉の中にクリシエは存在していたのだろうか。
だとすれば、オレの心の誠実さとクリシエがたとえ遠い距離にあったとしても何の保証もされていないのだなあ。
一生懸命思っても陳腐は陳腐、イヤはイヤ。

「クリシエ」とひと言に言ってはみるものの、決まり文句と卑下する気持ちが正当に働く人間は少ない。

まあ、なかなかに詩は大変だということだ、Kくん。

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