2009年11月27日金曜日

仕分け作業

仕分け作業を見ていると未来への投資を削減するのはいかがなものだろうという意見に出っくわすが、そのとき彼らの言う未来とはなんだろう。

塩見鮮一郎氏の語るようにあるとき未来には軍事費は不可欠なものであり、事実満州国は一時期日本を救ったという歴史がある。
それは著しく欠陥を背負った救国策ではあったが、それでもあの当時の国民をだますことは出来た。
満州をしっかりと語り始めたのはこの頃の作業だ。

さて、軍事費と科学の進歩はそれほどにかけ離れたものなのだろうか。
そこは考えるべきポイントだろう。

わたしが繰り返し述べる「貧困の共有」には軍事や科学は含まれない。

どうだろう、細々と生きては、というのが「j貧困の共有」の勘所だ。
見習うべきはヨーロッパの小国だろうか。
とにかく、われわれは貧困を生活に取り入れなければならないところまできている。

軍事も科学も未来永劫へのロマンを含んでいるが、人類が生き延びていくためには進歩でなく退歩が要求されている。
退歩までは行かなくても数歩戻って定常状態を保つという発想が必要だろう。

正解はいつもすばらしいものとは限らない。
いまわれわれの出せる正解には多分に残酷な要素が含まれており、そのなかには科学の進歩はあまり見当たらない。

一時の軍関係者の軍備増強のように科学進歩を金科玉条のように語らないでほしい。
はてさていつになったら「貧困の共有」を語りだすようになることやら。

本の一冊でも書いてみようかという気になる。

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