2009年11月27日金曜日

マスード

長倉洋美の写真を眺めるとき、「生きている不安」について考えることに邪険になってしまう。
けれどもこの贅沢な悩みがこの国にある以上、考えずに通り過ぎることも出来ないのだろう。

贅沢であっても悩みは悩みだ。
神を持たぬことがこの悩みを大きくするが、持たなかったことも定めだろう。

マスードの語るような

「いつ死ぬかは人間の決めることではない。
 ただ、その日が来るまで懸命に生きていれば、神は喜んでくれるだろう」

気分は想像するしかない。
そのマスードも50歳になる前に自爆テロで死んだ。

思えば、わたしも生き過ぎているのかもしれない。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム