マスード
長倉洋美の写真を眺めるとき、「生きている不安」について考えることに邪険になってしまう。
けれどもこの贅沢な悩みがこの国にある以上、考えずに通り過ぎることも出来ないのだろう。
贅沢であっても悩みは悩みだ。
神を持たぬことがこの悩みを大きくするが、持たなかったことも定めだろう。
マスードの語るような
「いつ死ぬかは人間の決めることではない。
ただ、その日が来るまで懸命に生きていれば、神は喜んでくれるだろう」
気分は想像するしかない。
そのマスードも50歳になる前に自爆テロで死んだ。
思えば、わたしも生き過ぎているのかもしれない。
けれどもこの贅沢な悩みがこの国にある以上、考えずに通り過ぎることも出来ないのだろう。
贅沢であっても悩みは悩みだ。
神を持たぬことがこの悩みを大きくするが、持たなかったことも定めだろう。
マスードの語るような
「いつ死ぬかは人間の決めることではない。
ただ、その日が来るまで懸命に生きていれば、神は喜んでくれるだろう」
気分は想像するしかない。
そのマスードも50歳になる前に自爆テロで死んだ。
思えば、わたしも生き過ぎているのかもしれない。
ラベル: 日常
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