2009年11月22日日曜日

高齢者虐待の背景に

以下は22日の新聞記事からだ。


2008年度に確認された親族による高齢者虐待は、およそ1万5千件。殺人や心中で24人の命が失われた。
相談や通報は2万1千件を超える。 
厚生労働省の調査から浮かび上がるのは、深刻さを増す在宅介護の実態だ。 
介護保険制度がスタートして10年近くになる。
介護の必要な人が増えているのに、サービスの供給は追いつかない。
使い勝手も悪い。
介護している家族に無理がかかり、ひずみが弱い人へ行く。 
高齢者虐待を生む要因の一つは国の介護政策の貧しさにある。
サービス基盤の整備に全力で取り組むことが厚労省の責務である。 
まずは量の問題だ。
介護施設が圧倒的に不足している。
特別養護老人ホームへの入所待ちが40万人近いとされる
グループホームなども満杯だ。 
サービスの利用には制約が多い。
柔軟性にも欠ける。
介護者が疲れたり急用ができたりしたとき、お年寄りを安心して預けられる場を探すのはひと苦労だ。 
今年春の要介護認定基準の変更では、実際よりも要介護度が軽く判定される傾向が強まり、利用できるサービスが減ってしまうケースが各地で相次いだ。
現場の批判を受けて修正したものの、利用の抑制と取られかねない。
国はこれまで社会保障費を抑えようとするあまり、介護サービスの充実を後回しにしてきた。
この姿勢を改め、介護負担の軽減に力を注がなくては、問題の抜本的な改善は図れない。
厚労省は肝に銘じるべきだ。 
虐待を防ぐには、地域で介護者や本人をきめ細かく支える態勢が大事になる。 
調査では、虐待の9割近くが同居世帯で起きている。
自治体に虐待を相談、通報したのは、ケアマネジャーらが4割で最も多い。 
家族介護は密室化しやすいことに注意が要る。
介護サービスや医療、福祉などが積極的にかかわって、トラブルを家族だけで抱え込まないよう目を配る必要がある。 
介護者の心のケアも欠かせない。
介護疲れに加えて、自身の健康面や経済面に不安を抱えている人も少なくない。
安心して相談したり、介護者同士で思いを語り合える場を増やしたい。 
虐待の被害者の半数近くに、認知症があった。
認知症の在宅介護は厳しく、家族は追い詰められやすい。
本人が認知症の症状ゆえに虐待を受けていても被害を訴えられないケースもある。
とりわけ手厚い支援が必要だ。
(太字強調はとんぼ丸による)


繰り返すが、この国にこれだけの人数の高齢者に安心な老後を送らせるだけの力はない。
何人かは保護されることなくそのまま死んでいかなければならないが、それを国が口にすることは出来ない。
人道主義は壊せないから。

(そんなに人の命は大事かねえ)
(その命というのはわけ隔てなく平等に存在しているのかな)

(問題はそこまで考えなければならないということだ。
 そして、考えないことを目指してきた個の社会はただ生きていくことを正義としてきた。
 だが、それは本当にそうなのか)

けれども人が生きるというのはどういうことであったのだろうか。
支援をしてまで人を生かすという発想は正しいのか。
(生きるのではなく生かすだ)
(末期のがん患者に声援を送ってさらに生存させようとする。
 よく似た話ではないか)

とにかく人が生きるというのはどういうことか本格的に考えなければ、老人から幼児へと弱者切り捨ての現象が陸続と進行していく。
高齢者の虐待はそのはじまりの一つの現象にすぎない。
いや、すでに現象はあちこちに起こってきていて、その一つを取り上げたに過ぎない。

この国にそれほど多くの必要ではない人々(だれにとって、なににとって必要でないのか?)を養う力はないのだ。

勝手に死んでいけと言ってみたらどうだ。
この国は、思ったほど平和ではないのだ。

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム