2009年11月21日土曜日

生存する危機

「生存する危機」について一つの社会を塊として考えていた。

そうではなく、「生存する危機」はその人が生きている社会に大きく関係するが、その人自身が選び取る場合もある点も忘れてはならなかった。

「ミレニアム」という評判の小説があるが、この作家の生き方がそうであった。
急逝した彼は、癌のために死んでいくのだが、彼の生き進んだ道は「生存する危機」と深くかかわっていた。
それはまさに彼の選び取った道である。

比喩としてどうかと思うが、山登りのようなもので危険承知の登山には「生存する危機」は常についてまわるわけで、そのことが生きるよすがにもなっているという微妙な関係がある。

スティーグ・ラーソンもまたそうであって、この世に存在する「生存する危機」に無関心でいられなかった。
それは彼の故国スウェーデンだけに止まらなかった。
さておき、彼の故国にも大きな問題があったことをこの小説を通じて知る。

その社会にありながらたまたま「生存する危機」に出合っていないからといって、この社会には「生存する危機」の姿は見えなくなってきたなどとのたまうわっているのは愚だ。

一つの社会ではなく「生存する危機」から遠く離れた人々といまだに「生存する危機」に接している人々がいるわけで、そのグループは一つの国などという大雑把なくくりでは縛りきれない。

オレは何も見えていないのだなあとしみじみ思う。

スティーグ・ラーソンは「ミレニアム」の大ヒットを知らずに50歳でこの世を去った。
いい死に姿かもしれない。

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