2009年11月19日木曜日

伊集院光


伊集院光の芸能生活にはその落語家時代からたどれば、いくつかの紆余曲折があるが、彼がとても真剣に生きようとしているのは間違いはない。

つまりは死なない工夫を凝らしている。
現在の彼は、週三日だけしか働かないことにしているが、それだとてあとの四日は働く三日間への先行投資をしているわけで、これを落語の世界ではお稽古と呼ぶ。
ご存知のようにテレビ芸人にはこのお稽古が必要ないわけで、ちゃらちゃらやりながら、そのちゃらちゃらになれた視聴者とともに騒いでいるというのが現状だ。
そのなかにあって深夜番組を中心に建て直しにかかっている伊集院光の真っ当さには目を見張るものがある。

彼の発想の基本には落語にあって、その話は具体に重きを置く。
そこに彼の話に芸能の匂いがついてまわる秘密がある。
そして、今この芸能の匂いのある話しが出来る人はそれほど多くはない、というかわたしは彼以外にあまり知らない。

ちゃらちゃら芸人を抜け出したい多くの人間は抽象に傾く。
具体具体でそこを押して突き抜けていくのはそれほど難しいのだ。

その意味で、太田光の努力が抽象的なところで開花するのと伊集院の花の咲かせ方の違いは歴然としている。
芸人としては、伊集院が上だろう。

けれども太田光の屈折と生真面目さをわたしは好んでいるので、爆笑問題をとやかく言う気は毛頭ない。
しかし、今の伊集院光の生きかたはかつ目するに値する。

繰り返すが、これは彼が落語家時代を持っていることと裏腹ではなかろう。

生真面目になりすぎず生きていってほしい。

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