2009年11月25日水曜日

断腸亭日乗

「断腸亭日乗」をぽつぽつと読めるようになったのはこの頃である。

日常の出来事ではなく思考を留め置くわたしのようなブログでは1000本近くも書いているとどうしても毎度毎度の繰り返しになってしまうことが多くなりますが、それは許していただきたく思います。

というわけで、今回も同じようなことを書いてしまいそうですが、作品の評価にはその作品を書いた当事者はもちろんのこと読み手も深くかかわってきます。
難しいことではありません。
読者に力がなければ、ある種の作品群に対しては何も見えてこないことを言っているのです。

これは文章に限ったことではなく、話芸の世界でも同じことです。
落語を聞き込んでいないお客さんにはわからない落語家の味はあるものです。
だからといって談志のように声高にそのことを言い募るのは下品さを感じますが、あの気持ちはよくわかります。

だからといって客に合わせていたらオレの芸が荒んでしまう。

という談志の主張は正しい主張です。
(正しいからといっていつもそのことを大声で主張するのがいいことだとは思いません、私見ですが)

というわけで。わたしが「断腸亭日乗」を読めるようになったのは読者としてのわたしの変質です。
読めるようになったのはいいことでしょうが、この変質自体の評価は別の所にあります。
(この辺はややこしい。故によってここには立ち入らない。立ち入るときは気合がいりますもんで)

ま、とにかく、これで浩瀚な「断腸亭日乗」を読む楽しみが増えたことは喜ばしいことです。

(ところで、以前まったくわからなかった「うまやはし日記」もいまのわたしは読めるようになっているのでしょうか)

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