2009年12月26日土曜日

処刑の方程式

作家とは古い建物のようなものです。
支えとなるたくさんのつっかい棒が必要だからです。
そんなわけで、わたしの支えとなってくれた……、みんなには本当に感謝しています。
ありがとう。

上は、本作冒頭に掲げられたマクダーミドの謝辞の最後の部分である。

作家が古い建物ならば、その古い建物から生み出される作品にも多くのつっかい棒が必要だろう。
「処刑の方程式」は過剰なほど補整の手が加えられており、それを建物として改めて眺めてみれば、どこをどうしたところで倒れはしない重心の低い建造物に見える。

それは、表現というところで見てみれば、丹念に細部を書き込むという作業に目がいく。
細部とは、自然描写であるとか、建物の内装であるとか、服装だとかである。
そういったもろもろの細部を書き込むことでこの作品は密度を増し、速度を十分に落として物語が流れていく。

まさに、ローギアを長く保ったまま山道をぐいぐい登るクルマのようだ。
そのクルマがスピードを上げるのは半ばあたりからだが、そのスピードが最も上がるラストの部分まで来ても無茶なスピードではなく、そこまでの旅を振り返るようなスピードで読者を運ぶ。

そうして、最後まで読み終わったとき、過剰な補整を施された建造物が実はきわめて脆いものであり、あの補強はしかるべくしてとられた補強だと知る。

お手軽な読み物ではない。
けれども、書き物における速度に思いを走らせてくれる小説だ。

じっくり読んでみる気がおありなら、手にとってはいかがだろうか。
作品としてどこに出しても恥ずかしくはない手間がかかっている。

作品の細部の書き込みとは、このような効果を生むことを教えてもらった。
しかし、効果が現れるまでには大変な苦労がいる。
作るという作業には何であれ、こういう地道さが必要なのか。
作品との出会いに感謝したい。

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