ブログの哀しみ
ブログは他者への伝言のようにも見えるが、自分への通信でもある。
それが、本屋に並ぶ作品と一線を画すところである。
まあ、そういうことはわかりきったことなのだろうが、わたしにはあまりわかっていなかったということだ。
わかっていたけれど、自分への通信の部分が思っていたより大きかったということか。
戯作者という人種がいるが、ああいう人はまことにもって立派だと思う。
太鼓持なんていうのも、存在にまいるなあ。
己が消えて、相手が喜ぶのだけを見る。
そういうのがいい。
それでも自分はどこかに残っている。
自分なんざ、そう大事にするものでもない。
わたしは家族に対して愛情の薄い人間だが、それにしても己自身よりは愛するに足る人々であるように思う。
自分ばかり見ていると奈落の底に落ちてしまいそうである。
それが、本屋に並ぶ作品と一線を画すところである。
まあ、そういうことはわかりきったことなのだろうが、わたしにはあまりわかっていなかったということだ。
わかっていたけれど、自分への通信の部分が思っていたより大きかったということか。
戯作者という人種がいるが、ああいう人はまことにもって立派だと思う。
太鼓持なんていうのも、存在にまいるなあ。
己が消えて、相手が喜ぶのだけを見る。
そういうのがいい。
それでも自分はどこかに残っている。
自分なんざ、そう大事にするものでもない。
わたしは家族に対して愛情の薄い人間だが、それにしても己自身よりは愛するに足る人々であるように思う。
自分ばかり見ていると奈落の底に落ちてしまいそうである。
ラベル: 日常
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