2010年5月13日木曜日

それでも彼はギターを携える

先日、心ある歌手と新宿の片隅のロッテリアで話したが、彼の心にいくつものわだかまりを感じた。
それでもギターを放さないというのが、目の前にある彼の姿なのだろうと思う。
さらに爽やかには、過ぎた願いだろう。
それに、彼はそのわだかまりをあえてわたしに示して見せたのだ、そのことを捉えて語るわたしの方がどうかしている。

ただ少し、彼がまぶしく、そして煙たかったのだ。
この社会が益体もないと改めてしみじみ感じたのだ。

ある詩人のブログに以下のようなことが書きとめてあったものだから、つい彼との語らいを思い出してしまった。


企画展をやるとなると、画商は、画家のホテルを準備しなければならないし、飯も食わせなければならない。
ところが不況でお金が回らなくなったものだから、とある画商、郵便局強盗をやらかしたのだとか。
これが、成功して個展は無事に終わったが、次の企画展のために、また郵便局に強盗に入ったところで、逮捕されてしまったのだという。

「わしは彼を画商の鑑(かがみ)と言っておる」

たしかに、画家のために強盗までするのは偉いが、強盗は強盗である。画商の鑑ではあっても、人間の鑑とは言えないだろう。
「この不況で、銀座の画廊は、もう何人も首を吊ってるし」
さすがに、言葉もない。

ユニクロばかりが売れ、餃子の王将や牛丼に行列ができる時代には、絵も売れないということか。
しかし、それでも絵を画くのが画家というものである。
これは詩人であれ、物書きであれ同じなのだが。

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