2010年5月13日木曜日

助けてもらえばいい

「助けてもらえばいいし、助けてやればいい」

これが基本だが、二重の障害が横たわる。

助けてくれとは言えない。
助けてやろうという気持ちは起こらない。

人間関係が作れてないんだね。
けど、このような希薄な人間関係のなかで生きざるをえなくなったのは、みんなが人間関係の煩わしさを嫌い、どんどんどんどん、人と人との結ばれた紐をほどいてきたからだ。
これをまた結び直せといっても難しい。

実際、わたしは今年の始め自殺未遂まで行った。
今、考えれば可愛い悪戯だったが、そのときは必死だった。

ムトウハップとサンポールで硫化水素も作ってみた。
あんときも笑い話で、次の日まで頭痛が取れなかった。
こんなに頭痛いんじゃ、硫化水素はやめだって…。

首の回りにはまだ痕跡があるが、首吊りも楽ではない。
一寸試し五分試しにやっていて、とうとう死にきれなかった。

それで恥を忍んでいろいろと人に迷惑をかけてここに到るのだが、その間でよくわかる。
人というのは、今の自分の状況を守りたがる。
相手より自分が優れていると思いたがる。
特に金を貸した人間などはそれだけで優位に立ってしまい、とんでもないほどだ。
そういう自分の心の動きに無批判なのである。

無批判であって何が悪いかといえば何も悪くはないのだが、そこにわたしは人間の浅はかな傲慢を見る。
貸さないで差し上げてしまえばよかったのだ。
100万や200万のはした金。

わたしなんぞは、毎晩のように差し上げてきた。
だからこんな借金生活になってしまったのだが…
何を言っているのだろうね、何の資格もないじゃないか、この禁治産者に。

で、そうそう。
その間、散々味わったのだが、助けようとする人は少ないし、助ける人にはアドバンテージが生まれ、ひどい人間関係に落ち込む。

その間隙をかいくぐって、わたしは素晴らしいと思う若者を二人見つけた。
大事な二人だ。
彼らとのメールのやり取りがわたしを生かしてくれている。
感謝することをわたしは教わった。

人間に対する落胆も多く経験したが、人間ってそんなに大したもんでもないと、今は大仰に構えている。

そういうわけで、非公式なセイフティネットをつくることは難しいが、日ごろから助けてくださいと周囲に言っていると、次第に誰が助けてくれるのか見えてくる。
その見えてきた人を大切にしていけば、わずかながらの光芒が射す。
そういうことではないかな。

レベルは違うのだが、

湯豆腐や 命のはての 薄明かり

ということは。

首でもつってみないとわからぬ心境だが…。

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