2010年7月12日月曜日

意思決定過程

参議院の選挙結果を聞くとはなしに聞いていて、この国の意思決定過程はどのようなものだろうと新たな疑問がわいてくる。
もちろん、この作業はきわめて明瞭な結論の出にくいテーマに対して行うセンスを問われるものだが、そこにマスコミがどれだけかかわっているだとか、どのような洗脳が行われているだとか、そういう操作をどこかではっきりしなければ、いつまでも国民の意思などというありもしないお題目で正義を唱えられ続けてしまう。

はっきりしておかなければならないことは、この国に国民の意思などないということだ。

それは、この国の国民再生産機構としてある学校システムを見てみればわかることだろう。
この国の学校システムの再生産しようとしている労働力は、われわれが何の根拠もなく思っているような幸せな人間像ではない。
そこで再生産される労働力には自分の立っているシステムが何であるかのような根幹を問う思考能力はほとんど必要とされていない。
であるから、あの教育システムがある。

それを誰が考えたか、わたしは知らない。
けれど、心静かに教育システムの有り様を見れば、直ちにわかるではないか。
そこには、堕落した教師たちが群れを成して形成する正解という神話が横行している。

だいたい、この世の中にあらかじめ用意された正解などあるはずがない。
教師が生徒より偉いなどという世迷いごとが成立するはずがない。

それに無批判に従う教師たちの無様な姿。
仕方あるまい。
彼らもまた、この教育システムによって再生産された人間なのだから。

けれども、本当に仕方がないのか。
自分の意思で考えられなくなってしまったのか。

そういうことはないのではないかと密かに願っている。

その意味でも、この国の国民がもつ意思決定過程を詳らかにする必要があると思う。
また、すでにそういう研究が行われているのであれば、そのことをどなたでもいい、無知なわたしに教えてはいただけないだろうか。

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