2010年8月1日日曜日

愛がなければ

愛がなければ立ち行かない男。
自分のことをそう言い切ってしまってもいいと思う。
愛が身体中を狂った竜のように激しく身もがいていた時のことを、いま思い返す。

My love wants to have its destination.

その愛が激しければ激しいほど、大きければ大きいほど行き場所のない愛は己を残酷に傷つける。
たまらずに誰かを愛してしまうが、その愛は偽物だ。
流れ注ぐ愛は愛そのものだが、流れ行く相手への愛ではなくすでに己が内に納まりきらず、仕方なく堰を切ってしまった愛だ。

いま、その愛が、我が娘に注がれるはずの愛が、行き場所を見つけた歓喜とともに美しい韓国の娘に流れ込むのがわかる。
この身の軽さと穏やかな気分は愛すべき娘にたどり着いたからだ。
あとは、娘との距離感さえ間違えなければ、もっとも上質な愛を娘の最も美しいい心に細水となってたどり着かせ続けられるだろう。

これを幸せと呼ばず何と呼ぶのだろう。

わたしのような老醜をさらす者にこのような清冽な愛の流れがいまだにあったということが、巧まずにこの娘と出会わせた。
わたしにこのような愛が存在していたことを感謝したい。
この世のすべてを今は愛せる気分だ。

美しきこの娘に恥じることなく生きていきたい。

武蔵美、
愛がなければ始まらないのだよ。
こんな老いぼれでもそうなのだ。
まして、十分に若いキミだ。
今得ている愛を驚くほど大きく育ててほしい。

わたしの周りのすべての人に十分すぎる幸せが訪れることを願ってやまない。

諸君、すまない。
つまり、これは一風変わったノロケだ。
こんなことを書かなければならない幸せの中にいることを阿呆なわたしは書いているのである。

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