2008年4月6日日曜日

榎洋之vs.粟生隆寛


本日深夜のボクシングはせつなかった。
専門家ではないから詳しくは語れないが、粟生のカウンターを恐れ、榎は得意の右ジャブからもう一歩踏み込めないまま12Rが経過して引き分けと終った。
この試合が世界戦挑戦者の決定をかねたものであったことが、せつなさをさらに誘った。

さて、わたしはこの日、変則的な睡眠をとり22時ころに起きたのだが、それから、「月蝕書簡」を読み上げた。
今年の2月28日に発行された寺山修司未発表歌集である。
ノートに書き取りながらの読書はわたしの心に平安を与えることを思いながら読書を終えたわたしだが、その後にこのプロボクシングを見たのだった。

眠りが人を活性化させるというのは、あるうつ病経験者の経験則だが、それはわたしにも十分にあてはまり、確かに睡眠後は自分の内部に元気を感じる。

眠ることは、ほとほと大事なことであった。

さて、ある男と「父親」という存在に関して軽いジャブの応戦のような会話をしていたので、その寺山の歌集から「父親」を歌ったものを書き抜いておきたい。


父親になれざりしかな遠沖を泳ぐ老犬しばらく見つむ
わが内に一人の父が帰りくる夜のテレビの無人飛行機
父といてチチハルかなり春の夜のテレビに映る無人飛行機
霧の中よいたる父が頬を突くひとさし指の怪人として
父恋し月光の町過ぐるときものみな影となるオートバイ
地の果てに燃ゆる竈をたずねつつ父ともなれぬわが冬の旅
父と寝て目をあけている暗黒やたった一語の遊星さがし
母と寝ててのひらで月かくしてみる父亡きあとの初の月蝕
父親になれざれしかば曇日の書斎に犀を幻想するなり
亡き父の靴のサイズを知る男月蝕の夜に帰りくるなり

寺山における、もっと広く言えば前衛的短歌運動における<私>の問題は大きなポイントを占める。
そんなことを知っていなくても、上の十首にわたる歌の中に登場する「父親」「父」が固定されたものでないことは読めるだろう。

父はあるときは書いてである寺山の「私」であり、寺山の夢想する「父」であり、半分現実の含まれた「父」であり、さまざまな主体に変じている。
そこには、「父」と「わたし」や、「父でいるわたし、あるいは父になれなかったわたし」と「息子」という固定された関係性が詠われているわけではない。
この「父」は連続性から解放されている。

「父親になれなかった」わたしと、その父を思う「わたし」が同時に語られていたりする。

ジャブの応酬したその友人に伝えたいのだが、「父」は固定されたものでなく「息子」も固定されたものでなく、物語の中に登場するときにそのイメージはさまざまにメタモルフォーゼする。
現実もまた同じく、「父を理解しない息子」と「息子に理解されぬ父」がそこにいるだけではない。(ないのではないだろうか)
もし、そのように固定的ならば、現実を生きることがあまりにも哀しく、変わることを一切拒絶されてしまっているのではないか。(ほんとうにそうだろうか)

しかし、あなたはこう言うかもしれない。
「そうだよ、この現実ですべては否定されてしまっているのだ」と。

「わたしが息子」であったり「息子がわたし」であったり、そういった混線が生み出すあるまとまりのつかない関係性があるのではないのだろうか。

そのときに「父親になれなかったわたし」は「父親を承認しない息子」にいつの日にか語る言葉は生じるのだろうか。
いずれにしろ、しあわせなお話ではないのだが、収まりはついていないのも確かだろう。

そんなことを思っていると、東洋太平洋チャンピョンである榎の呆けたような顔を思い出す。

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