2008年8月19日火曜日

見る角度

地球温暖化が、取りざたされてから原子力発電の見直しがされている。
見直しといっても、その危険性ではなく、CO2を生み出さないポイントにおいてだ。

79年のスリーマイル。
86年のチェルノブイリ。

そんなものは、遠いはるか。
あの洞爺湖サミットでも原子力の必要性は強調された。
このあほな人類という生き物は、いつも能天気だ。

少し前にアメリカでは、「原子力2010」というプログラムが発表された。
この地球の中で最も醜い国。

そして、(予期せぬ効果として)期せずしてNPTでは、核の平和利用にも茶々を入れて、原発の開発を規制している。
エネルギーは、今いる人口の下、必要なものだ。
しかし、その人口自体が不自然だとすれば、人が死ぬ道も考えねばならないのではないか。

わたしは、原発事故では死にたくない。
できれば、刃傷沙汰で、死にたいものだ。

いまこの地球を覆う人間は多すぎる。
その人間を認めての議論はどこか危うい。

さて、どうする。

そういう意識を持った人間がどれくらいいるのだろうか。

ラベル: