見る角度
地球温暖化が、取りざたされてから原子力発電の見直しがされている。
見直しといっても、その危険性ではなく、CO2を生み出さないポイントにおいてだ。
79年のスリーマイル。
86年のチェルノブイリ。
そんなものは、遠いはるか。
あの洞爺湖サミットでも原子力の必要性は強調された。
このあほな人類という生き物は、いつも能天気だ。
少し前にアメリカでは、「原子力2010」というプログラムが発表された。
この地球の中で最も醜い国。
そして、(予期せぬ効果として)期せずしてNPTでは、核の平和利用にも茶々を入れて、原発の開発を規制している。
エネルギーは、今いる人口の下、必要なものだ。
しかし、その人口自体が不自然だとすれば、人が死ぬ道も考えねばならないのではないか。
わたしは、原発事故では死にたくない。
できれば、刃傷沙汰で、死にたいものだ。
いまこの地球を覆う人間は多すぎる。
その人間を認めての議論はどこか危うい。
さて、どうする。
そういう意識を持った人間がどれくらいいるのだろうか。
見直しといっても、その危険性ではなく、CO2を生み出さないポイントにおいてだ。
79年のスリーマイル。
86年のチェルノブイリ。
そんなものは、遠いはるか。
あの洞爺湖サミットでも原子力の必要性は強調された。
このあほな人類という生き物は、いつも能天気だ。
少し前にアメリカでは、「原子力2010」というプログラムが発表された。
この地球の中で最も醜い国。
そして、(予期せぬ効果として)期せずしてNPTでは、核の平和利用にも茶々を入れて、原発の開発を規制している。
エネルギーは、今いる人口の下、必要なものだ。
しかし、その人口自体が不自然だとすれば、人が死ぬ道も考えねばならないのではないか。
わたしは、原発事故では死にたくない。
できれば、刃傷沙汰で、死にたいものだ。
いまこの地球を覆う人間は多すぎる。
その人間を認めての議論はどこか危うい。
さて、どうする。
そういう意識を持った人間がどれくらいいるのだろうか。
ラベル: 国際情勢
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